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北欧の建築 フィンランド

ヘルシンキの建築

※始めに※

経験と能力に限界があるため、たくさんある建築のほんの一部しかご紹介できません。また、筆者が建築家ではないので、誤りの記述があるかもしれませんし、逆に素直な感性が光るところもある(?)かもしれません。いずれにせよ、完璧なご案内ではないことを明記しておきますが、少しでもご旅行の参考にお役に立てれば幸いです。

☆セナーティントリ [Senaatintori]

セナーティントリヘルシンキは1550年に、スウェーデン建国の父グスタヴ・ヴァーサ王によって作られました。
目的は、ハンザ同盟の港町だったターリンと競ってロシアと交易をするためでした。無人の地だったので、バルト海沿いの町から人を移住させたということです。場所はヴァンター川の河口付近、いまのアラビア工場がある地域、アラビアンランタの北の部分にあたります。その後、1640年に町はいまのセナーティントリ近くの海岸部に移されました。その後は、岩盤の間に木造の簡素な家が建つだけの地味は貿易町だったようですが、戦火で焼けて何も残っていません。
フィンランドは12世紀から1809年までスウェーデンの植民地でした。スウェーデン支配の後半は、東部は常にロシアからの圧力を受けていました。バルト海に沿って、いくつかの町がロシアの攻撃を受けました。ヘルシンキも1713年に完全に破壊されました。スウェーデン領フィンランドの領土は徐々に減っていきました。1748年からスウェーデンは、フィンランド湾を守るために、ヘルシンキの沖の島に巨大な砦を建設しました。それがいまは世界遺産になっているスオメンリンナ砦です。当時のスウェーデンの同盟国だったフランスから資金援助を受けた工事で、ヘルシンキの人々は石材工事の技術を学びました。
1808年にロシア軍は陸路で北からヘルシンキを攻撃して焼き放ち、スオメンリンナ砦を占領しました。翌年、スウェーデンは撤退し、フィンランドはロシアの公国になりました。この時代のフィンランドの首都は、南西部にある港町トゥルクでした。ヘルシンキも町ではありましたが、スオメンリンナ砦の建造に関わる人たちが4000人ほど住む程度でした。すぐに、焼けたヘルシンキの町の復興がはじまりましたが、1812年に皇帝アレキサンダー1世は、サンクト・ペテルスブルグとストックホルムの中間に位置し、巨大な砦が守るヘルシンキを首都と定め、新しい町の建設を命じました。
当時のヘルシンキは、いまのセナーティントリから中央駅あたりまでの小高い島が中心でした。新都市は、政治家のヨハン・エーレンストロームが大筋の計画図を作り、主要建築物の設計はドイツの建築家のカール・エンゲル(1778-1840年)が担当しました。サンクト・ペテルスブルグに似た石造りのネオ・クラシックの町並み、古代ギリシャのアゴラに似た広場を真ん中に教会、議会、大学、官庁で囲む形は、神、文化、市民をはっきりと意識しています。
東西165m、南北100mの広場を中心に、東側が1822年完成の議会、南側が1819年完成の総督官邸、西側が1832年完成の大学と1840年完成の図書館、北側の高台に1852年完成の大聖堂が建っています。広場の中心に立つのはアレキサンダー2世像です。

☆大聖堂 [Tuomiokirkko]

半島の南部の高台に建つ、ヘルシンキの象徴ともいうべき教会。明るい緑色のドームと白い柱廊は、海から港へ入ってくるとき、特に大きさと威厳を感じさせます。プロテスタントのルッター派の教会なので、中の装飾はいたって質素ですが、フィンランド人が大好きなコーラスやオルガン演奏などがあり、清楚な雰囲気に満ちています。
設計者はカール・エンゲルで、1830年に着工、1852年に完成しました。1840年にエンゲルが亡くなったあと設計変更が行われ、ドームの周囲に4本の塔がつけられました。また、テラスの南側の両端に、セナータ広場に面してパヴィリオンが二つ建てられました。見慣れたせいか、4本の塔がドームの頂点からファサードの屋根へと流れる線を支えていて安定感があります。

☆アカデミア書店と2階のカフェ・アアルト [Cafe Aalto]

中心街のエスプラナーディンの入り口、ストックマン百貨店の隣に建つ建物。1961年の招待コンペで入選したアルヴァ・アアルト(1898-1976年)と後妻のエリッサ (1952年に結婚)の設計で、1969年に完成しました。ファサードには、一時期アアルトがよく使った銅が使用されています。
窓枠と柱は大理石です。中に入ると、3階まで吹抜けの大きな空間の上に、3つの明かり採りの窓から光が射しています。床と階段の手摺りは大理石を使用しています。カフェもアアルトの設計で、テーブルの上に天井から吊り下げられた金色のランプシェードは、ユヴァスキラ近郊にある旧サイナッツァロ村役場のためにデザインしたものです。

☆ヘルシンキ中央駅 [Rautatieasema]

ヘルシンキ中央駅市のほぼ中心に位置するアールヌーボー時代の風格ある建築。1904年の公開コンペで一位に選ばれたエリエリ・サーリネン [Eliel Saarinen] (1873-1950年)の設計で、ヘルシンキのシンボル的な建築になっています。左右に2人ずつ配した、円球を持つマッチョな巨人像(腕の筋肉がすごい)はかなり大胆で、民話の登場人物を連想させます。こんな装飾の鉄道駅は世界でも珍しいはずで、自由な発想の楽しさを味わえます。
公的で巨大な建築に関しては、どこでも賛否両論が沸くようです。サーリネンの最初のプランは、大勢の人や列車が行き交う多忙な中央駅というより、教会か城のようだったそうです。それは、この時代の建築の好みが、民族的な色彩を込めたロマン主義的デザインで、駅前に建つアテネウミン美術館のデザインの影響が大きかったからです。批判を受けたサーリネンは、外国を視察したりしながら、かなり修正をしました。工事は、最初に東側の駅前広場の部分が、次に中央部分が完成し、大部分は1914年に完成しました。しかし、続く3年はロシア軍の病院に、1918年にはロシア国鉄の駅として使用され、ヘルシンキ中央駅として使用されたのは1919年からだそうです。プラットフォームの屋根は最後まで実現しませんでした。いまある天蓋は、1995年のコンペで一位になったエーサ・ピーロネンの設計で、今世紀になって完成したものです。また駅の西側の郵便局との間の部分も実現しておらず、いまもふしぎな空間になっています。
また当初は、スウェーデンのストックホルム中央駅とヨーテボリ中央駅の公開コンペで一位になったドイツ人建築家に依頼されましたが、この情報が建築家協会に知れて、反対運動が起こり、鉄道省は公開コンペに変更しました。
完成後は、フィンランド建築の代表作として高い評価を受けています。事実、何度見ても見飽きないし、日本にもあんな駅があれば楽しいだろうなと思わせてくれます。正面入り口から中に入ると、アンティークな香りが漂う大きなドア、床、階段、手摺り、切符売り場、両替場、レストランなどがあり、その奥には利用客がうごめく通路に沿ってカフェやキオスク、書店などがずらりと並んでいます。通路の奥のドアを開けると、プラットフォームが広がっています。東はロシアのサンクト・ペテルスブルグ、北は国内のロバニエミ、西はトゥルクなどへの長距離列車、そして近郊の電車が発着しています。
構内でのおすすめは、天井の高いレストラン。まるで古い映画の世界に舞い戻ったかのような雰囲気です。一度ゆっくり食事されることをおすすめします。
駅の地下にはキオスクやスーパーマーケット、ファーストフード店、カフェ、雑貨店などが連なっています。また、ヘルシンキ市交通局のチケット販売所もあります。
駅の東側には大きなバスターミナルがあり、その東側には医療・福祉の資金を集める目的のカジノとおしゃれなラディソンSASホテルがあります。

☆カンッピ・センター [Kamppi]

カンッピ・センター2006年3月に完成した中心街複合センター。ここは地下鉄駅、その上の階に長距離バスターミナル、1階から3階にレストランと商店街、4階から7階に事務所と住宅が集まっています。
商店街には、マリメッコやイッタラなどのブランド・ショップや、スーパーマーケット、中国やタイ、イタリア、インド、日本などのエスニック・レストランがあり、多くの人を集めています。センターの周囲には、モダンなデザインのホテル・シモンケンタ、いくつかの広場、映画館、テニスホールなどがあり、さらに市電の新設工事や周囲の建物の再開発などで、このデザインが西側のラディソンSASホテルあたりまで広がりつつあります。
センターの3つの棟の上の階は住宅になっていて、広場に向かってガラス張りのバルコニーが張り出しています。 バルコニーは西を向いていますが、これは夏の西日を最後まで楽しむためでしょう。西日を嫌う日本とは違って、この国では西日が価値になっています。市の中心地なので、家族ではなくIT企業の中年独身男性が多く住むと言われています。

☆ヘルシンキのテンペリアウキオ教会 [Temppeliaukio]

テンペリアウキオ教会ヘルシンキ中央駅の西側、カンッピの長距離バスターミナルがある地域から北へ上がった高台にあります。教会は、周囲を集合住宅に囲まれているので、南側にある通りフレデリキンカツ以外のところからは見えません。高い塔を作って、どこからでも見えるようにする、近くからでは見上げるように建てる、というこれまでの教会とは違います。逆に、周囲の集合住宅の上の階からは、教会を見下ろすこともできるのです。しかも、屋根は円盤型で、鐘塔がありません。
1933年、1936年、そして1961年の3回の公開コンペを経て、最後に一位を取ったデザインが、現在のスオマライネン兄弟が設計したもので、1969年に完成しました。フレデリキンカツからトンネルを掘り、岩盤で囲むというアイディアは、第一回のコンペですでに先人が提案したそうです。その以外は兄弟の発想で、岩盤を削り、周囲に石を積み上げ、その上に梁で支えた180枚のガラス窓を置き、その上に円盤のようなドームを乗せています。初めて見る人は教会というイメージをぶち壊されて、びっくりすることでしょう。しかし、斬新なデザインが生む美しさは、気持ちのいい荘厳さを感じさせてくれます。50回以上訪問しましたが、何度行っても喜びを感じさせてくれるのは不思議です。座席は1000人分近くあり、すばらしい音響なので、よくコンサートが開催されます。オルガンの練習にも使われ、ミサ曲のレコードが流れているときもあります。また、土曜の午後は結婚式の会場として人気があります。式が行われている間は入場できませんが、終われば美しい花嫁さんが、幸せの絶頂という笑顔を見せてくれます。
テンペリアウキオ教会正面入り口の外側の道を右手に進むと、子どもの遊園地があります。ここから、教会の上に上がれます。ドームの上には上がれません。

☆フィンランディア・ターロ [Finlandia Talo]

フィンランディア・ターロ中央駅の西側にある内海の岸辺に建つ白亜の建築。アルヴァとエリッサ・アアルトの後期の設計で、1750席のコンサート・ホールと350席の室内楽ホールは1971年に、会議場は1975年に完成しました。白大理石で覆われた建物は、縦と横の空間の処理にすぐれていると言われます。西側の木立の中に見える曲線の姿と、東側の内海に面した直線の姿の両面を持っています。中に入ると、アアルトらしい階段やふつうでない配置の天井のライト、左右対称でない客席など、ゆっくりと細部まで見ていくと面白さがわかります。大理石が腐食しているので、10年ほど前から改修を続けています。

☆新オペラ劇場 [Ooppera]

ヘルシンキのオペラは、1918年からアレクサンテリン・テアテリが使われていました。この劇場は、ホテル・クラウス・クルキの前の道 Boulevard を西へ下った住宅街にあります。この町に住むロシア人の社交場として1879年に建てられた座席数500の小劇場です。いまはミュージカルやショーを得意としています。
新しいオペラの建設は、19世紀初めから議論されてきましたが、1993年にようやく完成しました。場所は中央駅の西側から市電で北へ2駅の、内海を見下ろす高台です。1979年のコンペで選ばれたエーロ・ハイヴァユキ、ユッカ・カーフネン、リスト・パーキネンの設計。周囲の緑から彫刻に導かれるようにして、ガラスと白い壁を多用した建物に入ります。奥へ行くにしたがって沈んでいく感じがちょっと楽しい。どこを見てもきれいで、しゃれた服を着、背筋をピンと伸ばしていないと似合わないような気がします。来ている人たちもきれいに見えます。上演作品の質も、ヨーロッパの北の果ての国とはとても思えないほど洗練されています。特にバレエが注目です。

☆社会保険会館 [KELA]

社会保険会館オペラ劇場から北西へ1kmほど、市電 3B か 3T で行けます。1948年のコンペで一位になったアアルトの設計で、1956年に完成した政府の建物です。機能主義の時代のデザインで、ファサードは赤レンガと黒い花崗岩、銅を多用しています。中に入れれば、図書館の天井のトップライトや階段などにアアルトの個性がわかります。もともとはいまコンチネンタル・ホテルが建っている場所に建てるものとして、官庁や民間企業事務所、シベリウス・コンサートホールを含む設計でしたが、都市計画の都合でいまの土地に官庁だけ建てられました。

☆文化会館(旧共産党会館) [Kulttuuritalo]

文化会館(旧共産党会館)オペラ劇場から東北へ1kmほどにあり、市電8番が最も近く、少し歩きますが、3B か 3T でも行けます。1958年に完成したアルヴァ・アアルト設計の建物で、5階建ての事務棟と2階建ての会議室棟、1500席の劇場から成っています。アアルトの初期作品の特長である赤レンガと銅を多用しており、なかなか味がある設計です。外灯や庇、雨どいなどのデザインも、一つ一つ心がこもっているように見えます。前庭には、トゥルク生まれの彫刻家のワイノー・アールトネン(1894-1966年)の巨大な作品「創造者の手」が置かれています。まるで最初にこの作品があって、あとから建物をデザインしたようにぴったりと合っています。

☆アラビアンランタ [Arabianranta]

アラビアンランタ陶磁器のアラビアの工場と博物館がある地域 Arabianranta。市内とは 6番と 8番の市電が結んでいます。ヘルシンキ最古の工業地帯といわれるこの地域は、いま芸術とデザインを学ぶ地域へと変身を続けています。産業の空洞化で不要になった工場や倉庫は、ヘルシンキ・アート&デザイン大学、ポップス&ジャズ専門学校、ヘルシンキ市科学技術部へと改築され、5000人分の仕事が確保されています。かつての工場で汚染された土壌は、数年かけて浄化され、さらに2mのレンガ破片を敷き詰めています。
海岸沿いには40haの緑地帯が作られ、その内側に7000人分の住宅が建造されています。5階から6階建てのアパートが多く、屋上には共同のサウナとクラブルームが設置されています。陶器工場の海岸寄りの部分はすでに完成していますが、さらに北へと工事が続いています。

☆ヴィーッキのエコ団地 [Viikki]

ヴィーッキのエコ団地

ヴィーッキはヘルシンキ市の中心から北東へ約8kmの一帯に広がる地域です。中央駅から地下鉄で北東へ向かい Herttoniemi 駅からバスで行きます。
1132haの面積があり、うちの840haは森、公園、リクリエーション地区になっていて、一部は自然保護地域に指定されています。
この地域は1832年から貴族の領土でしたが、1931年にヘルシンキ大学の管理になり、1967年に農学部のメインビルディングと学生村ができました。1991年にはヴィーッキ実験農場と生物化学に特化したサイエンスパークのビルが完成しました。続いて2000年にはビオセンターの3つのビルが建てられました。
ヴィーッキの入り口付近にあるサイエンスパークには、生物学研究施設と教室、会議室があります。生物学研究施設の向かいにあるインフォセンターはガラス張りの円形の建物で、図書館、会議室、管理部門があります。円形の建物はエネルギー的に有利で、外壁はガラスですが、内壁と二重になっていて、間に緑の庭が置かれています。建物内の空気を循環させて、夏は涼しく、冬は暖かくし、エネルギー消費を減らしています。
住宅地域はサイエンスパークの北東部を占め、1987年から開発が開始され、持続可能な建築の実験都市として2004年にラトカルタノ地区の南部にエコ住宅が完成しました。いまの計画は2010年に完成の予定で、さらに2015年までに6000人の学生を含む15000人が住み、大学や商店、地域の管理などで7000-8000人分の仕事を供給する予定です。北欧の住宅開発では、常に一定人数分の住宅と仕事の両方の供給を計算しています。その地に住み、働くことを計算して、開発が行われます。住宅を空き家にせず、住人を失業者にしないための方策が考えられています。ここの場合は、大学職員、研究者、学生、団地管理者や運営者が住み、大学や団地、保育園や学校が仕事の場を提供します。日本の都会の住宅団地の場合は、都心で働く人たちの住宅を郊外に建てる形になっていました。都心まで通うのがつらいと感じる歳になると、団地は空き家だらけになりました。
ヴィーッキ教会住宅地は持続可能な開発とエコロジカルな建設が進められています。1995年に行われたエコロジカル住宅地区の公開コンペで第一位になったのはペトリ・ラークソーネン [Petri Laaksonen] のデザインでした。続いてエコロジカル区域と保育園、実験的木造住宅地区のコンペも行われました。中では、1999年建造の集合住宅ヴィーッキン・マーカリ [Viikin Maakaaari] (Pekka Helin and Anne Jylh?)がモダンな低層住宅として人気があります。この地域の建設は2010年まで続き、完成時には13000人分の住宅と6000人分の労働を提供します。
ラトカルタノ地区がいまのところ最大の住宅地区で、8階建て、4階建て、3階建て、2階建て、平屋と、各種の住宅を好みに合わせて選択できます。木造住宅は4層になっています。エコ・ヴィーッキは実験的に様々なエコ住宅を建設して、その経験から3期以降5期まで建設する計画です。すでに3期まで完成しました。ここのエコ住宅の長所短所を他のヘルシンキのエコ住宅建設に活用する予定です。エコ住宅開発は、コンペを実施して最適と思われるものを選択しています。居住形式はレンタル25%、権利所有21%、所有54%です。南に広がるのが低層住宅で、その南に海からの風除けの緑地があり、小川に沿って野うさぎや野鹿、野鳥が多くすんでいます。また、緑を住宅街に入り込ませるようにしています。エコであることより、都心から車でわずか20分なのに、この自然環境の中で子育てできるなら、絶対にここに住みたくなると思います。
建造されるエコ住宅の基準にはいくつかの視点があります。公害を発生させずに製造された資材を使用、自然資源の利用、健康を増進させる配慮、生物多様性の維持、食品の安全を守るなど。それでいてふつうの住宅よりは5%以内増のコストに抑えようとしています。
この地区のテーマはエネルギーと水の節約です。太陽エネルギーの利用は大切で、エコ住宅の一部は、利用温水の30%がソーラー発電で作られています。年間を通じて太陽光線が不足しているので、全ての住居にガラス張りのベランダが必要です。緑の地区はガーデニング、コンポスト作り、雨水集めに利用されています。雨水はゆっくりと流し、浄水する植物の間を通して、自然保護区の間を通し、海へと流れていきます。
住民の入居後、エネルギー消費などは市が定期的にチェックし、成果をまとめ、業者に伝え、住民に伝えています。業者や住民からの報告義務はありません。
住民は子供がいる家庭が多く、両親は30-40歳代で、エコよりも、自然に近い環境、子供にいい環境、住みやすい家として、ここを選択しています。エコ生活だけを求めてここに住む人は多くありません。しかし、ふつうに生活していてエコ生活ができるので、エコが嫌われているわけでもないのです。エコ・ヴィーッキに住むという意識が、ゴミを減らしています。
ヴィーッキの中心部分にあるヴィーッキ教会 [Viikki Kappeli] は、ぜひ一度見て下さい。テンペリアウキオ教会がこの国の岩盤を見せる建築とすれば、ヴィーッキ教会は圧倒的な木の魅力を伝える建築です。フィンランドの木造教会の伝統に加えて、ノルウェーのスターヴ教会の技法、木造船の建築技術なども感じさせます。そして森の国の教会らしいデザインの凄さ、室内を埋め尽くす木の香りは実に感動的です。フィンランドの設計会社 JKMM Architeckts の設計で2006年に完成しました。

☆アルヴァ・アアルト自宅 [Villa Aalto]

ヘルシンキの中心部から北西へ6kmほどの住宅街 Riihitie 20 にあります。市電4番の終点から徒歩で行けますが、地図を持っていかないと迷います。
2階建てで、居住部分と小さなアトリエがあります。1936年に完成以来、後妻のエリッサが亡くなった1993年まで住居として使用されました。彼の作品の印象からはちょっと違って、木材が多く使われています。彼がデザインした家具も多く置かれ、いまのおしゃれなフィンランドの源を見るようで気持ちがよくなります。居住部分の外壁は木、アトリエ部分の外壁は白く塗られたレンガで、暮らしと仕事を分けていたのかもしれません。
ガイドツアーでのみ入場可能で、5月から9月は火曜から日曜の13:00, 14:00, 15:00, 16:00, 17:00、10月から4月は火曜から日曜の14:00から17:00。1回20名のみ。有料。

☆ヘルシンキ工科大学 [Teknillinen korkeakoulu]

ヘルシンキ工科大学ヘルシンキの中心街から西へ5kmほどで、隣の自治体のエスポーに入ります。さらに3kmほどでオタニエミです。ここにヘルシンキ工科大学があります。ヘルシンキ市内のカンッピ・バスターミナルからバスが出ています。
1964年完成の主屋は、アルヴァ・アアルトと最初の妻アイノ(1949年死去)が1949年の建築プラン・コンペで選ばれた建築として知られています。建物はこの地区の中央に位置する小高い丘の頂上にあります。建物のなかでもっとも眼を引くのが巨大な講堂で、屋根がギリシャ時代の野外劇場のような形になっています。実際に授業が行われるスペースは、小さな中庭に面した棟にまとめられました。主屋には科学学科、建築学科、調査学科が入っています。ファサードの素材は主に赤レンガで、建築学科のファサードだけ黒い御影石や大理石が見られるのは、自分の出身校だけ価値が高い素材にしたのかもしれません。Otaniementie 9にある工科大学図書館は1965-70年に建てられました。天井のライトの不規則な並び方は、すごく感覚的で、工事にたずさわった人は苦労したことでしょう。

☆オタニエミ教会 [Otaniemi Kappeli]

オタニエミ教会この教会はその小ささにもかかわらず、1950年代のフィンランド建築の中で最も重要なものの一つといわれています。教会のための一般建築コンペは1954年に開催され、シーレン Kaija & Hekki Siren のプランが現在のものの基礎となりました。工科大学の主屋の前を北へ進んだ、道路からちょっと登ったところにあり、道からは見えません。木製のフェンスで囲まれた前庭に入り、木製の鍾塔を左手に見て、木製のドアを押して中に入ります。天井の低い入り口ホールから、180人収容の天井が高い教会聖堂に続く部分は、木のぬくもりがある地味な建物のように思えます。しかし、聖堂に入ると驚かされます。祭壇は大きなガラス窓を通してオタニエミの森が浮き彫りになっており、外に十字架が立ち上がっています。多くの人は、感動してここでしばらく足が止まります。そんな建築はめったにないと思います。
小さく見えても、ここは、聖堂と議会場、クラブをつなげると最大で300人を収容できるそうです。2つのレンガの壁にはさまれた聖堂の天井を見上げると、木材を組んだルーフトラスで覆われています。全体に漂う、木の匂いも印象的です。1957年に完成し、1976年に火事で消失しましたが、1978年には、オリジナルのデザインで復興されました。

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フィンランド ユヴァスキラのアルヴァ・アアルト建築

☆行政・文化センター

行政・文化センターユヴァスキラ [Jyvaskyla] 駅の西側の Kilpisenkatu から上へ上る傾斜地に建っています。この町で5歳から18歳までを過ごしたアルヴァ・アアルトにより1964年に設計されました。警察は1970年に、市の建築局は1978年に、市立劇場は1982年に完成しましたが、予算などの関係で、どれも設計通りではないようです。いずれも白い大理石を使用しています。市立劇場の裏から上のテラスに上がると、警察の裏側が見えます。

☆自衛団会館

自衛団会館行政・文化センターの斜め向かいにある5階建ての白い建物で、1926年のコンペでアルヴァ・アアルトが勝ち、1929年に建築されました。新古典主義から機能主義へ移行する時期の設計といわれています。当初は、食料品市場、映画館、レストラン、集会場があったそうですが、のちに郵便局が入るなどしてかなり改築されたようです。

☆労働者会館

労働者会館自衛団会館から北東へ2ブロック方向にあります。アルヴァ・アアルトの新古典主義の代表作の一つと言われています。彼が結婚した1924年の設計で、新婚旅行で見たイタリア建築の影響を受けています。1階の外回廊風の円柱や2階のバルコニーの装飾、窓の形がかわいらしいし、内部の劇場入り口部分や階段も楽しい雰囲気があります。独立して最初の公共建築であり、これで社会に認められました。1階のレストランの外装が、雰囲気をぶち壊しているのは残念です。

☆ユヴァスキラ大学

ユヴァスキラ大学かつての教育者養成学校で、いまは大学になっています。1951年に実施された増築部分招待コンペで一等に入選したアルヴァ・アアルトの設計で、1970年代まで順次建築が進められました。高台に建つ本館は赤レンガを多用した建物で、周囲の松林や運動場を見渡す位置にあります。傾斜した屋根、階段、窓枠、外灯などにイタリア建築の影響が感じられます。当人が楽しんで設計している感じがよく出ています。敷地内には付属基礎学校(9年制の小中学校)、付属基礎学校体育館、大学学生寮、学生食堂、教職員食堂、体育館、学生会館、体育学部棟がアアルトの設計です。アアルト以前の建物も残っています。

☆博物館

博物館大学に隣接した坂に張り出した博物館は、アアルト建築の様々な時代の特徴を含んでいます。中央フィンランド Keski-Suomi 博物館は1961年の建造で、白いしっくいが塗られています。講堂の壁は、彼の他の建築でもよく見られる、波打つ防音壁を使用しています。メインエントランスは1990年に増築されましたが、建物の全体のバランスを崩しているようにも思えます。
隣接したアルヴァ・アアルト博物館は、1973年の建造です。彼の晩年の建築作品の写真や資料、家具、別荘で利用していたボートの模型や写真などの展示があるほか、彼の家具を製造販売しているアルテックのショップがあります。

☆旧サイナッツァロ自治体役場

旧サイナッツァロ自治体役場ユヴァスキラ市の南15kmほどの村にある建物。ユヴァスキラ駅で下車し、駅から北西に上がる道 Vainonkatu の 67 にあるバス停から、ほぼ30分に1本出る16番か21番のバスで30分ほどで着きます。かつては工業が盛んで、サイナッツァロ [Saynatsalo] 自治体として独立していましたが、いまはユヴァスキラ自治体に含まれています。
サイナッツァロ自治体は役場を建設するためにコンペを開催し、1949年設計のアルヴァ・アアルトの作品を選び、1952年に建設しました。赤レンガを使用し、外柱や外階段、中庭などにイタリアの影響を感じさせるこの作品は、アアルトの最高傑作のひとつとして知られ、彼の人生を変えました。
この建物には、玄関、会議室、図書室、来客の宿泊室、議会、サウナ、トイレ、首長の住居があります。会議室の天井の梁やテーブル、吊りランプにまで、アアルトの好みがはっきりと写しこまれています。圧巻は階段を上がって3階にある議会で、天井の梁は自らバタフライと呼んだように複雑な組み合わせになっています。このような梁は、ヘルシンキにあるオタニエミ教会やヴィーッキ教会へと引き継がれているような気がしますが、フィランドの伝統的な技法かもしれません。
アアルトは、ドアの取っ手やランプ、階段の手摺などの細かいところまで自らデザインしました。裏側の草の階段は、どうしてこういうものにしたのかわかりませんが、赤レンガに緑が映えてやさしい感じがします。図書室の階段も特長があります。首長の住居は、いまは一般の人に貸していますが、カーテンにいたるまですべて変更は許されず、借り手は住みずらいと言っていました。
通常は月曜から金曜の8:30から15:30に入場でき、費用は寄付。団体は予約が必要。これ以外の時間、曜日は、鍵を開ける人の確保のため事前予約が必要で1グループ75ユーロ。(2008年現在)

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